物語ゲームのフォルダから

物語系のゲーム評ブログ(ファミコン、iPhoneからフリーゲームまで)

データイースト 『探偵 神宮寺三郎 横浜港連続殺人事件』

 

子供のころ、背伸びしてふれた大人びた世界は
ウイスキー片手にプレイするのが良く似合う

 


 『探偵 神宮寺三郎 横浜港連続殺人事件』

行方不明になった人物の捜索依頼をうけ、探偵の神宮寺(じんぐうじ)は横浜での調査を開始する。その後、行方不明者に近い人物が死体となって横浜港で発見され、事件は思わぬ方向へと進む。
1988年にファミコンで発売されたアドベンチャーゲームである。プレイヤーは神宮寺となって、事件を調査し、解決に導く。異国情緒に満ちたグラフィックとサウンドは、トラベルミステリとしても楽しい。

 


 データイースト
株式会社。1976年4月20日設立。2003年4月に惜しまれつつ倒産。正直な作風が特徴で、デコ(DECO)の愛称で親しまれ、人気を博した。(物語色が強いゲームの)代表作は『ヘラクレスの栄光』シリーズ、『メタルマックス』シリーズ、『探偵 神宮寺三郎』シリーズなど。そのほかアーケードゲームも多数発表している。

 


 

  山下公園、中華街、横浜スタジアム、山下埠頭、領事館、バー、マンション、ホテル、ヤクザの事務所、宝石店。


『横浜港連続殺人事件』では、こんな場所を調査することになる。雰囲気が伝わる一覧ではないだろうか。もちろんジャンルはハードボイルドだ。それまで主にお城や洞窟を冒険していた私は、この新しい冒険が新鮮だった。行き慣れていない場所が冒険心をくすぐったのだろう。小学生のときだった。雑誌でこのゲームの紹介記事を読み、アベックという未知の言葉を知った。


買ったときのことをよく覚えている。何しろ高かったからだ。当時のファミコンカセットは定価がだいたい4000円~6000円ぐらいだったと記憶している。お小遣いは年齢かける100円。4年生なら400円。新品のカセットはそうそう買えるわけではなく、正月や誕生日をのぞいて、中古ショップで買い求めた。だいたい安いゲームは480円だとか780円だとかになるのだが、殺人事件を解く探偵になるゲームだけは、中古でも1980円や2980円で売られている。納得がいかなかった。きっと、販売本数が少なかったのだろう。でも、そんなは知識はなかったし、興味もなかった。まだ面白さに誰も気づいていないのだと思った。何度もパッケージに目を凝らして悩んだ末、買った。買うことすら冒険だったころの話だ。


徹頭徹尾、とにかく大人びて見えたゲームだった。主人公をはじめ、顔の長いグラフィックを持つ登場人物が多かったのも大人びて見えたし、「ひので」「とつか」「かながわ」「いせざき」といった登場人物の名前も大人びて見えた。

(後に、それらの人物名が横浜の鉄道の駅名にちなんでいるというのを知った。横浜に住む人や、地理に詳しい人は別の楽しみ方をしたのだろう)



プレイヤーは「ききこみ いせざき じけんのこと」「ひとしらべる とつか」などの「コマンド」と呼ばれる選択肢を次々と選び物語を進めていく。プレイヤーの操作に対して、作中の登場人物たちはなにかしらの返答をする。たとえば、事件を担当している加賀山署の捜査課長、伊勢崎はこんな風に話す。

かのじょが ゆくえふめいになったと
きいて、こまっているのは、われわれなんです。
じつは エバが いなくなったひのあさに、
エバとおなじく バラカりょうじかんに つとめる
じょせいが したいで みつかっているんです。


今でこそ、漢字の使われていない文章はカタコトに見えるかもしれないが、ファミコンが現役だったころには、そのような先入観はない。そして中身は、何の変哲もない文章だ。しかしそれが、ゲームとして画面に表示されると違った印象を持つのだ。何しろ、ゲームの中の世界では、何の変哲もない会話はあまりされない。

ところがここでは当たり前のように、特殊な職業の大人が普通に仕事上の会話をしていてその現場に立ち会っている自分…という状況におかれる。これはもちろん、冒険であり、ロールプレイングゲームである。


伊勢崎は話を続ける。

じつは このおんなは、われわれが めを
つけていた、ある そしきはんざいの・・・・。
はっきりいえば、みつゆですな。その
みつゆグループの いちいんでは ないかとみて、
ひそかに ちょうさちゅうだったんです。

 
そんな登場人物の話や行動に対し、時には主人公である神宮寺が独り言をはさむ。以下は、上に引用した伊勢崎の話を受けて、神宮寺の気持ちを表示したものだ。

なんだか はなしが おだやかで なくなって
きたようだ。みつゆとは・・・・。しかし、それと
エバと どういう かんけいが あるのか・・・・?


エバとは行方不明になった領事館勤務の女性である。当初はエバを探していただけだったのが、同僚が死体で発見されたことによって一気に事件性を帯びる場面だ。このように、主人公である神宮寺は、プレイヤーに対して頻繁に内面を吐露してくれる。内面は状況の解説でもある。行動を選択し内面を表示する毎に、ハードボイルドな探偵のキャラクターにプレイヤーは移入していく。捜査が進まないときは、主人公とプレイヤーはともに苛立ち、焦る。

実際、最初に遊んだときは、雑誌で紹介してある場面を過ぎたとたん行き詰ってしまった。しかし当時はインターネットもなかったし、他に遊ぶものがなかったから、投げ出しても再び向き合わざるをえなかった。それに、これは今だから言えるのだが、『横浜港連続殺人事件』は行き詰るという体験が実によく内包されていた。作りこんでいるという意味ではない。それどころか行き詰ると、ゲームらしくシステム内では時間が止まり、すべてのプレイに対して見知った反応しか返ってこない。それでも、バーにふらっと寄ってみたり、助手に助けを求めたりする。そんなプレイをさせてしまうところが、妙にリアルで大人っぽいのだ。それもこの作品の設定と場所のおかげだ。

そうやって頭を抱えたり、ため息をついたりするのは、社会に出て仕事をしてみると、もはや珍しくはなくなっている。だから、大人にとって、『横浜港連続殺人事件』で大人びていた体験のひとつはストレスに置換される。

 


それにしても、大人とはなんだろうか。実はよく分からなくなっている。横浜にしばらく住んだり、山下公園でデートしたりもしたが、モヤモヤは消えない。バーは大人びた場所だし、洋子さん(作中に登場する助手)は有能で美人で大人びた存在に見える。だが、そんな大人はどこか身近ではない(バーは個人差があるだろうが)と思われるのだ。それに、作中の彼らの年齢はとうに上回ってしまったのに、彼らはいまだに大人びて見えるのが不思議だ。

 

時代の変化か。自分がせっせと作り上げた大人のイメージとはなんだったのか。幻だったのか、はたまた消失してしまったのだろうか。それで、とぼとぼとこの世界へ戻ってくる。ウイスキーを飲みながら世界に沈む込むのだ(探偵としては失格だけれど)。画面をつけっぱなしにして、BGMを鳴らせたまま、別のことをしてもいい。そうして、私を包んでいるモヤモヤこそが大人なのかもしれない、などと考えるのだ。